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◇新型コロナ感染拡大防止のために <9月1日>

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秋の夜長・・、本読も!

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下里出身の、森慶三さん(1888~1965)という方をご存じでしょうか。

和歌山県師範学校を卒業後、師範学校の付属小学校訓導となり、

以後県下で主として教育行政に携わりました。

『那智勝浦町史』下巻には、森さんが大正期に串本小学校の校長として、

子どもの個性を重んじた新教育運動に深くかかわったことが記述されています。

また、地域史の研究を深め、『医聖 華岡青洲』の執筆をおこなったことで

知られています。

森さんは、亡くなる直前まで膨大な量の日記を書いていました。

昭和20年7月の和歌山大空襲についての記述は具体的で、文面からは、

この厳しい経験を後世に伝えねばならないという強い決意が伝わってきます。

同年9月には進駐軍の和歌浦からの上陸を目の当たりにし、圧倒的な差を

感じた森さんは、「進駐将兵の威力の増すに比例して窮迫の益々其度を加ふる

日本人の生活は果して何処へ行くか?」と苦悶します。

しかし悩みながらも戦後の混乱期を少しずつ乗り越えていくようすが、日記には

描かれています。その記述は、まるで当時の多くの日本人の思いを代弁して

いるかのようです。

森さんは、ライフワークだった華岡青洲研究に、後年多くを捧げます。

昭和39年の日記には、小説家・有吉佐和子さんが、森さんのもとを

訪れたことが書き残されています。熱心に質問しノートをとる姿は、

驚嘆すべきものだったと森さんは記しています。昭和41年に発表された

有吉さんの代表作『華岡青洲の妻』は、この経験を踏まえて

書き上げられたものだったのです。

 

日記(森慶三文書)より昭和39年5月29日条

有吉佐和子女史ニ会ウ

「(略)有吉女子ハ近ク華岡加恵夫人ニ就テ書ク小説ノ材料トシテ、

余ノ話ヲ求メラレタノデアッタ。五人ノ間デ話ヲ交シナガラ、

華岡夫人ノ史料ヲ語ル、有吉女子ハ熱心ニノートシテイタ。

ソノ研究的態度ニハ驚嘆スベキモノガアッタ。若イガ

(昭和六年生レトノヿ)中々シッカリシタ人物ダト思ッタ。(略)」

 

橋本唯子(和歌山大学学術情報センター図書館)

 

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