なちかつ
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 石牟礼道子(1927-2018)の自伝。著者が語る生い立ちや出来事の一つ一つに物語世界がある。物語の一場面のような、また随筆のような。家族や、近隣の人びとや、水俣病患者らに寄り添う道子のまなざしはやさしく深い。

 あとがきに、「しきりに母のことを想う。この人は実母が発狂するなど、大変な苦労をしながら、没落した家を天性の明るさで支えてきた。死ぬ一週間程前、私がその苦労をねぎらうつもりで、「おもか様をかかえて、大変じゃったなあ、母さん」と横たわっている母に声をかけた。母は遠い所を見るような眸の色になって、何ともいえぬ悲痛な表情になった。「なんの苦労じゃろか。あたいが十歳時分の頃じゃった、おもか様があのようにならいましたのは」。しばらく黙っていたが、「子供の頃は遊びにも行かずに、泣き狂うて彷徨(さまよ)う おっ母さまの手を取りながら、あたいの方が親にならんばと思いよった。機織りの名人と言われよったがなあ」と言った。十歳になるやならずの女の子が、自分の方が「親にならんばと思った」とは、私は感動のあまり先が言えなかった。私も栄町の表通りを、裏返しにした着物を着て、裸足でよそ様の家の前に立って、何か呟いている祖母を連れ帰しに行ったことがたびたびあった。こういう家庭の中で育った私にも、狂気の血が伝わっているに違いない。水俣病問題に関わったのも、血統かもしれない。」とある。

2024年 (令和6年)
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