なちかつ
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 中国残留孤児の物語を書くとき、陸一心の妹あつ子のように人間らしく生きることができずにぼろぼろになって死んでいった子どものことをこそ書かねばならないと、作者の山崎豊子は語っていた。その筆には戦争と戦争へ国民を導いた指導者への激しい怒りがある。同じ孤児でありながら一心とは対極の運命を歩んだあつ子。

 「兄ちゃん、どんなに遠うても、日本の土を一度だけでも、踏んで死にたい。母ちゃんと父ちゃんの国、日本を一目だけでも、見て死にたい」もう長くはなさそうだと云われている病んだ体で、一心の両腕に取り縋った。一心は、狂ったように妹の体をかき抱き、嗚咽しつつ、人間の運命を思った。自分は陸徳士という慈悲深い第二の養父に恵まれて育ったが、妹は戦争孤児として日本の大人たちの犯した罪を、幼い体で償い、農村で牛馬の如く酷使されながら、生きてきたのだった。

 山崎はこの作品を「多数の関係者を取材し、小説的に構成したもので、登場する人物、関係機関なども、すべて事実に基づいて再構成したフィクションである」と言っている。しかし、取材は中国の政治体制の壁に阻まれて困難を極めたという。そんなときまったく幸運なことに、1984年、胡耀邦総書記との会見が実現し、氏の理解を得て三年にわたる現地取材が実現したとのことだ。今から思えばそれは奇跡だった。やがて胡総書記は、87年に失脚。以後はまた取材ができなくなる。そして89年4月、この親日家で政治の民主化にも積極的だった胡耀邦が急死。学生たちの追悼デモがきっかけとなってあの天安門事件に発展した。今年6月4日は事件からちょうど30年になる。山崎豊子は戦後のせめぎ合う日中関係の中にあって、この奇跡の作品を書く宿命を負っていたのかもしれない。 

2024年 (令和6年)
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